大岩 義明 -Yoshiaki OIWA- 選手 【後編】
"華やかで面白いクロスカントリーを見てもらいたい"
2001年の渡英以来、ヨーロッパを中心に活動している大岩選手。厩舎でのアルバイトからはじまり、近年ではFEI世界ランキングで上位に名を連ねるトップライダーの一人として存在感を増しています。第一線で活動する中で感じた日本馬術界の課題や、2020年の東京オリンピックにかける意気込みも含めて、ヨーロッパでの競技生活について伺いました。
馬もない状態からのイギリス競技生活
大岩選手のイギリスでの活動は、総合馬術選手だった大学の先輩が所有する厩舎でのアルバイトからはじまりました。自身の馬も持たず、大会に出場できる保証もない状態からのスタートでしたが、「挑戦しないで一生後悔するのは嫌だった」と語ります。
大学を卒業して競技から離れていた時期に、シドニーオリンピックの入場式を見たんです。
そのとき「ここに行きたかったな」とすごく思って。だったらダメ元でもいいから本場イギリスに行こうと。とにかく何もしないのは耐えられなかった。それに当時周りには、ヨーロッパで活動してオリンピック出場というキャリアを示してくれる先輩方が大勢いて、小さな希望でも努力すれば可能性はあると思えたことも、決断を後押ししてくれました。
渡英してから最初の1~2年は、アルバイト先の厩舎で世話をしていた馬のオーナーから騎乗許可をもらい、1スターなどの大会に少しずつ出場していました。その後、アテネオリンピックの団体予選出場を前提に、日本馬術連盟を通じてJRAから馬をいただく幸運に恵まれ、2003年にはじめての自馬を手にしました。アテネは結局、団体でも個人でも予選突破できず※、それならとバドミントンと双璧を成すバーレーという4スターの大会に挑戦しました。しかし、馬はよかったのですが自分のミスでリタイアになり、その悔しさをぶつけてやろうと思ったのが翌2005年のバドミントンです。
※アテネの個人代表は世界ランキング上位25名まで出場権が与えられ、大岩選手は26位だった。
スポーツカーとトラクターの経験
2008年の北京オリンピックまでイギリスに在住した大岩選手。その後、「環境を変えて成長したい」と考えドイツへ移りました。練習方法も馬のタイプも異なる中で鍛え直したことで、2012年のロンドンオリンピックでは初日のドレッサージュ(馬場馬術)で1位通過を果たしました。
北京の後に、環境やトレーナーを変えて成長したいと考えるようになりました。そんな折、Dirk Schrade※という知人のドイツ選手がトレーナーをしてくれることになり、施設も理想的だったため、馬をすべて連れて移住しました。現在もDirkとは一緒に練習しているのですが、彼は教えることに対して厳しくて、そこが合っていた。僕は楽しくなると、そのまま楽しんでしまうところがあるので(笑)
ドイツ馬術は理論をとても大事にしていて、教科書の1ページ目から順にやっていくようなイメージです。今までやってこなかった部分をやり直せたことは、僕にとってかなり大きな転機でした。ロンドンオリンピックで1位通過したドレッサージュも、元々は苦手種目だったんです。
また、あくまで印象ですが、馬のタイプもイギリスは軽い繊細な血統が多いのに対し、ドイツは馬車馬っぽくてパワーがある。スポーツカーとトラクターで乗り方が違うように、重い馬をしっかり動かすことがドイツの選手は上手いんです。そういう両方の国の乗り方、馬術の流れを学べたのはいい経験ですね。
※ドイツの総合馬術選手。主な賞歴として09年 CCI 4スター Pau/FRAU 2009 優勝、12年 ロンドンオリンピック 団体金、14年 ノルマンディー世界選手権 団体金、13・15年ヨーロッパ選手権 団体金。
トップライダーに負けていないと思っている
15年以上もヨーロッパを主戦場として活躍してきた大岩選手。FEI世界ランキングでも欧米、オーストラリア、ニュージーランドといった強豪国の選手と並んで上位につけています(2017年7月現在)。キャリアを積み重ねる中で大切にしていることを伺いました。
世界的なトップライダーと自分を比較したときに、感覚としては負けていないと思っています。とはいえ彼ら彼女らは子どものころからやっていて、僕が総合馬術を本格的にはじめたのはヨーロッパに来てから。最近ようやく、戦えるだけの経験を積めたかなと感じるようになりました。
転機となった大会はいくつもあるのですが、2005年のバドミントンでの初出場11位は自信になりました。もっと経験を積めばヨーロッパで戦える選手になれると感じたのはこのときです。
2008年の北京ではじめてオリンピック選手になったことも、競技をつづけていく上で重要なポイントでした。アテネ予選で日本代表チームに入って以降、所属会社からサポートしてもらっていたので、アジア大会の金メダル、オリンピック出場と、少しずつ恩返しができるようになってきた。今でもこの競技をつづけられているのは、節目節目でしっかり結果を出し、それを積み重ねていけたからだと思います。
この競技で一番大切なのは、馬がどういう状況にあるのか常に把握してあげることです。何をしたいかではなく、馬からのサインを汲み取って、何をしなければいけないか考える。特にクロスカントリーはいろいろなことが起こるので、お互いを理解し助け合える信頼関係を築くことがとても重要です。
全力で競技できないジレンマ
ヨーロッパで競技する中でもホームとなるのは日本。そこで課題となるのがサポート力の差です。馬術は競技活動に費用がかかるため、スポンサーの存在が選手の成績に大きく影響します。しかし日本のメディア・馬術界が関心を持つタイトルはオリンピックなどごくわずか。そのためメジャータイトルでも力を温存しなければならないジレンマを選手は抱えることになります。
ヨーロッパでは馬術はメジャースポーツで、観客がとても多く、競技への理解やサポートの体制も充実しています。だからヨーロッパの選手の場合、タイトルを取ることがスポンサーや収入につながり、どんどん競技に臨みやすい環境が整っていきます。
一方、日本で注目されるのはオリンピック、世界選手権、アジア大会くらいです。バドミントンの後、ヨーロッパの選手から「お前くらいの実力があればスポンサーが付くのに、なぜもっと自分をアピールしないんだ」と言われましたが、世界最高峰と言われるバドミントンですら、日本馬術連盟からも正式な派遣員が送られてきていない。スポンサー獲得の前に、そのくらいの認知度なんです。
そうなると、ヨーロッパでメジャーなタイトルでも、オリンピックのための通過点になってしまう。僕の場合、馬の数が限られているので、ここで出し切って馬が疲れたりケガをしたらと考えると、温存しなきゃと考える大会も出てきてしまいます。
ですが、今年から方針を変え、もっと攻めていこうと思っています。バドミントンやBramham同様、メジャータイトルでポイントを狙っていき、その勢いのまま2020年の東京までつなげていこうと。その中で結果を出せば、選択肢も広がっていくと考えています。
同時に、馬術は日本ではマイナーなスポーツなので情報発信が欠かせません。自分でもSNSは活用していますが、やはり日本馬術連盟などのオフィシャルが発信してくれると、これ以上なく頼もしいですから、東京オリンピックに向けたこれからの動きに期待しています。
東京に向けて、思いきり動いていく
「東京オリンピックは、世界レベルの華やかで面白いクロスカントリーが日本で開催される、またとない機会」と語る大岩選手。かつて引退を撤回したほど特別な思いを抱くこの大会に向けての意気込みを伺いました。
これからの3年は人生でも最初で最後の機会だと思っています。だから東京オリンピックまで、誰に何と思われてもいいから思いきり動いてみるつもりです。どちらかというと遠慮しがちな性格なのですが、積極的に声をかけてサポートしてもらい、馬が足りなければオーナーになりませんかとお願いする。当然お金が関わる話になりますから、それに見合うだけの成績をしっかり残して、上位と戦える実力を証明していきたい。
東京で開催されるのは、華やかで面白い、世界レベルのクロスカントリーです。日本の総合選手にはヨーロッパで競技したいと思ってもらえるように、一般の人には馬術の面白さを感じてもらえるように、いい走りを見せたいですね。
練習でやってきたことがすべてですから、プレッシャーは特に感じていません。馬とともにベストを尽くし、いいパフォーマンスでみなさんの期待に応えられるようにがんばっていきます。
大岩 義明 -Yoshiaki OIWA- (おおいわ よしあき)
大岩 義明 -Yoshiaki OIWA- (おおいわ よしあき)
明治大学卒業。株式会社nittoh所属。ナショナルチーム選手。08年から16年までオリンピック3回連続出場。06年ドーハアジア大会 個人金・団体銀メダル。10年広州アジア大会 個人銅・団体金メダル。17年 バドミントン・ホーストライアルズ 8位、CCI 3スター Bramham 優勝。
Twitter:https://twitter.com/yoshiakioiwa