総合馬術について

総合馬術の歴史

日本の総合馬術の歴史そして現在

日本も古くは軍人のための競技として栄え、軍人が多く参加しており、1928年のアムステルダムオリンピックで城戸俊三少佐が21位であったという記録があります。
戦後は東京オリンピックの際、軽井沢の地で行われ千葉幹夫選手が完走こそしたものの入賞には届きませんでした。そのあとはしばし沈黙の期間に見舞われましたが、後藤博司元日本馬術連盟理事長をはじめとした有志が音頭をとり、復活に向けて動き出し、1971年に第1回全日本総合馬術大会が馬事公苑にて開催されました。
その後地道な強化が実を結び、1976年のモントリオールオリンピックには、植田元、衛藤賢二、石黒健吉選手の3名で団体出場しました。そして1980年モスクワ五輪は日本のボイコット(フランスフォンテーヌブローで行われた代替大会に植田元選手出場)、1984年のロスアンゼルス五輪は派遣出来ずでしたが1988年にソウル五輪で宮崎栄喜、渡辺弘、若原尚、岩谷一裕選手の4名で参加、宮崎・岩谷選手が日本人として久々に完走しました。
  • 1988年ソウルオリンピック出場 総合馬術
    宮崎栄喜 スクルージ号

  • 1988年ソウルオリンピック出場 総合馬術
    宮崎栄喜 スクルージ号 耐久競技

そして1992年のバルセロナオリンピック(宮崎栄喜・岩谷一裕・後藤浩二朗・木幡良彦)、1996年のアトランタオリンピック(岩谷一裕・木幡良彦・布施勝・土屋毅明・細野茂之)の2大会連続で団体入賞に輝きました。
続くシドニーオリンピックも団体(加藤大助・布施勝・土屋毅明・細野茂之)出場しましたが相次ぐ参加馬の故障などで3大会連続入賞には至りませんでした。アテネオリンピックは残念ながら選手0、北京オリンピックには大岩義明選手が個人出場しました。
  • 1992年7月バルセロナオリンピック出場 総合馬術
    宮崎栄喜 ミステリーカーゴ号

  • 1992年バルセロナオリンピック出場 総合馬術
    宮崎栄喜 余力障害

  • 1992年バルセロナオリンピック出場 総合馬術
    岩谷一裕 ロードウォーターフォート号 日本チーム団体7位!

  • 1992年バルセロナオリンピック出場 総合馬術
    後藤浩二郎 余力障害 レタリック号36位

  • 2000年シドニーオリンピック出場 総合馬術 布施勝

  • 2002年9月プサンアジア大会 細野茂之

その後JRAの支援もあり、日本で世界選手権やオリンピックへの資格認定につながるスリースター戦の開催(アジア地域では初めて)にこぎつけ、日本で資格を獲得した選手も含めてケンタッキーの世界選手権に出場、団体9位になりました。
その後、海外でトレーニングを重ねる大岩義明、佐藤賢希、土屋毅明選手らと根岸淳、弓良隆行選手など国内組が団結しアジアオセアニア予選では強豪オーストラリアを破り、2大会ぶりにオリンピック団体枠を獲得、国内でクオリファイした田中利幸選手を含め5名の選手でロンドンオリンピックに出場。初日の馬場馬術では日本人初となる個人首位に大岩選手が立つなど大いに沸かせましたが、クロスカントリーでは不運な落馬があり団体入賞は果たせませんでした。
2016年、大岩義明、北島隆三選手の2名で臨んだリオ五輪では、大岩選手が個人決勝まで駒を進め戦後最高位の個人20位でフィニッシュ。2018年アメリカ・トライオンでの世界選手権、2020年の東京オリンピックにはメダルも視野に取り組んでいるのが現状です。
アジア大会においては日本は上位国に常に位置し、1998年バンコク大会、2006年カタール大会、2010年広州大会で村上一孝、大岩義明、佐藤賢希選手がそれぞれ個人金メダルを、団体では1986年ソウル、2002年プサン、2010年広州大会で団体金メダルを獲得。2018年ジャカルタ大会、2022年の名古屋大会でも団体・個人金メダルが期待されています。
  • 2006年 全日本総合馬術大会 優勝 加藤大助 オムドゥグゥ号